2009年2月9日月曜日

「私を死刑に」「生き残った意味必ずある」裁判にて

「私を死刑に」「あなたが生き残った意味必ずある」


重いダウン症の長男(当時27)の将来を悲観した妻に頼まれ、長男と妻を殺害した夫に対する裁判が先日行われた。
懲役7年(求刑10年)という判決結果の背景には、27年間に渡る長男への愛と妻への愛との葛藤があった。

生後から知能が発達しない長男の症状は重く、妻は食事やトイレなども付きっきりで世話した。
しかし長男は成長するにつれ暴れたり妻の髪の毛を抜いたりと、介護は過酷を極めたそうだ。
そのうち妻も体調を崩し、被告である夫も退職して介護を手伝ったが、3人で心中を望むようになる。
そして妻に殺して欲しいと頼まれ、就寝中に長男と妻を殺害。
その後自らも手首を切って自殺を図ったが死にきれなかったそうだ。

公判で夫は「なぜ自分だけが残ってしまったのか。死刑にして欲しい」と訴えた。
その訴えに対し裁判官は「長男がダウン症を持って生まれてきたことには必ず意味がある。あなたが生き残ったことにも意味がある。残された人生を有意義に生きて欲しい」と諭したという。

何があっても人を殺してはならないが、四半世紀に渡る夫婦の背景に対して裁判官が伝えた言葉は本当に人間味のある温かさを感じる。
人を裁くのも人な訳だから、機械的に白黒をつけるのでは裁く意味が無い。

この事件は、高齢化社会による介護の拡大や、陪審員制度による裁判への参加に向けて、様々な問いを投げかけられているように思われる。
多くの国民はこの事件を忘れてはいけない気がする。


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