2011年3月7日月曜日

【BOOK REVIEW】キュレーションの時代

キュレーションの時代 (著)佐々木俊尚



著者は21世紀の情報流通について、小さくてもそこに集まる人々の顔が見えて、どのような人たちなのかという性格が鮮やかに見て取れる、小さなビオトープ(生息場所)の集大成として情報が流れていると表現している。
例えば1980年代ぐらいまでは「洋楽を聴く方が邦楽を聴いているよりカッコいい」「クラシックの方がジャズやポップスよりは格上」というような共通認識があり背伸び消費的な若者が存在したのだが、いまや「洋楽好きな人」「Jポップを好きな人」「クラシックを好きな人」はそれぞれビオトープ化し様々な圏域をつくりだしているという。

その変化に対応できていない具体例として音楽業界が挙げられている。
音楽を聴く人の数は減っていないが、楽曲とリスナーを接続する回路が組み変わり、マス消費的回路が衰退し好みが細分化された音楽情報圏域が生まれてきているのに、音楽業界の側はこの圏域にうまく情報を送り込む方法を見出すことができていないと指摘している。

また、マスメディアが演出した記号消費が消滅していき、2010年代の消費の本質は「商品の機能+人と人とのつながり」であり、情報が流れるということは「情報をやり取りすることで人と人がつながる」という共鳴が同時に成り立つような時代になってきているという。
個人も企業も関係なく「価値観や興味」などのコンテキストを共有している人たちの間では、互いに共鳴によってつながり、エンゲージメントが生み出される時代になってきている。
そこでは、情報に人間らしさがあるか、自分の言葉で語っているかということが必要で、主客一体でお互い積極的に情報を交換する関係性をつくっていくことが大切であることを説いている。

そのエンゲージメントのツールとして興味深いのが、位置情報共有サービスだ。
リアル空間のある一点である「場所」と、インターネットと言うバーチャルな空間の中に存在しているコードである「情報」が接合されることで、これまで明確に存在していたバーチャルとリアルの境界線が曖昧になり、インターネットはリアルの切り抜きに移ってきている。
企業は「場所」と「情報」の交差点をうまく作り出すことによって、今まで一期一会だったお互いの存在を意識・確認しあう関係になり、単なるカネとモノの交換だけでなく、なんらかの共感や共鳴から持続的な関係を生み出すことができる。
「場所」と「情報」の連携というのは、今後のソーシャルマーケティングに向けて示唆に富むトピックなのではないだろうか。

ただし著者は、主客一体との表裏一体で、ソーシャルメディアでの情報流通とつながりは、一期一会であり、つねに「一回性」というただ一度の出会いの中にあるともしている。
継続してつながるためには「ただ一度の出会いと覚悟し、そのひと時を思いを込め、心を込めて過ごす覚悟」も必要ということである。

そして本書のタイトル「キュレーション」については以下のようにまとめている。
キーワードやジャンルや場所のような無機物を視点にする限り、斬新な情報は入ってこないが、他社の視座にチェックインして、その人たちの視点で世界を見ていくと鮮やかな新情報が次々と流れ込んでくる。

これは、TwitterやTumblrを積極的に利用していると日々感じることでもある。

この「視座」を提供する人をキュレーターと呼び、情報のノイズの海の中から特定のコンテキストを付与することによって新たな情報を生み出す存在である。
さらに「視座の提供」をキュレーションと呼び、一次情報と同じぐらいに「その情報が持つ意味」「その情報が持つ可能性」「その情報が持つあなただけにとっての価値」など、コンテキストを付与できる存在や情報をフィルタリングするキュレーションの価値は高まってきているという。

コンテキストを付与した編集情報を、ターゲットがチェックインしているあらゆるツールにてアウトプットすることは、企業マーケティングにおいても重要であることを再確認できた一冊だった。




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