通常歴史で軸にする年号や時代、政権や事件ではなく、文明の段階を軸に日本史の全体を捉えて説明している本。
タイトル通り、読み終えると日本史の流れが掴む事ができる。
本書を読んで感じたことは、歴史を学ぶためにはまず全体像を把握した方が各事象に対しての理解度が深まると言うこと。
事実、全体像が分からず縄文時代から順に授業で説明されても、場面の切り取りなので興味が持てないし歴史として感じられないが、全体像が分かっていれば、点と点が線となり現在とつながっている事を実感でき歴史を学ぶのが面白くなる。
日本に神社が多い理由や日本が長い間平和だったこと、世界の中でも独自で高度な文明がつくられていたこと、オーストラリアが最近まで縄文時代だったことなど非常にワクワクしながら読めた。
興味深かった点は幾つかピックアップ。
まずは、過去の日本には強いアイデンティティがあったことについて。
産業革命〜大航海時代において、大量生産されていくモノの市場を生み出すために、ヨーロッパ諸国は多くの地域を植民地化していく。
先進的で高度な文明をもったヨーロッパは我こそが世界で最も優秀だと考え、多くの地域が太刀打ちできず支配されていく。
しかし面白いことに、日本をはじめ東アジア世界では独自の高度な文明が発展していたため、南蛮人が来航しても自国が劣っているとは考えなかった。
織田信長はカトリック教会の支配方式は日本には合わないとした。
そして宗教や哲学面でも南蛮人と対等に論争できた僧侶が多かった。
最終的にはヨーロッパ的発想を受け入れて世界と交流することが国に危害をもたらすと考え鎖国するに至るのだ。
しかし世界の大きな流れに飲み込まれ、結局鎖国廃止に。
そして残念か、その後ヨーロッパ的思想が蔓延し帝国主義に走り戦争へと向かってしまう。
外交を遮断している某国がどうということではなく、世界に迎合せず独自の文明やアイデンティティをもつことも大事で、現に日本はその方が平和だった事実がある。
また、漢字の成り立ちも興味深い。
海外の言語と比較し非常に難しい漢字。
そては古くから王者の政治を助ける知識層が重んじられ、この知識層が簡単に覚えられる表音文字はつくらず、絵文字をもとにした多様な漢字を生み出した。
これは知識層が庶民に理解しづらい難しい漢文を使うことによって、学問で得られる利権を独占しようとしたことを示しているそうだ。
日本でも漢文を使うことが知識層の表れとされ、古い建築物や書物は漢文で表現されている。
そして本書で印象的な一節。
科学者たちは無意識のうちに、自分が生きる社会の人々にとって都合のよい、受け入れやすい理論をつくり、それを「科学」と言っていることになる。世界が平面であることが江戸時代の人間にとって安心感を与える好ましいものであったために、朱子学者たちは地動説を受け入れなかったのである。この例から、現代人が「真理」とみている最新の近代科学に対しても、つねに疑いの目をもちながら接していかねばならぬことがわかってくる。科学の書物の内容は合理的にみえるが、もしかするとそれは科学者たちが、人々に媚びようとしてつくり上げた虚像かもしれないのだ。
ただ年号や事件を覚えるだけの歴史の授業は苦手だったが、改めて歴史を学び直したいと思わせる一冊。
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