2011年1月24日月曜日

音楽マーケット情勢の雑感

最近出会った音楽マーケットに関連する記事から、現在の音楽マーケット情勢の雑感をまとめてみる。


引用:
@skmt56
ここ数年、国内外で精力的にツアーを行っていますが、なぜですか?坂本「単にCDが売れないから。演奏活動しないと食べていけない。不思議なことにCDは買わないのにライブには来る方がたくさんいるので。体験にはお金を払うけど、情報には払わないということが大きいかな」

坂本龍一さんは、USTREAMやTwitterなどのソーシャルメディアを有効活用し、音楽業界の中では先進的な活動を昔と変わらないスタンスで続けている。
音楽だけではなく時代に対する感度や好奇心が高く、そろそろ還暦を迎える年であることを考えるとその姿勢に改めて感心してしまう。
確かに記事にあるよう音楽不況と言われている中でも夏フェスを始めとするライブは盛況だ。
それは下記の記事がリアルに伝えている。

引用:
@sakaguchi_df
某イベンター氏と情報交換。去年の12月は東京だけで1000本以上のライブコンサートが行われていたらしい。街自体がとんでもないフェス状態。レコードからライブへ、はさらに加速してるっていう事実。

これらの話しを踏まえると、リスナーは生の音楽を聴くという原点回帰の方向に進んでいるように感じる。
もちろん夏フェスの動員数も頭打ちになりつつあり、今後はライブも淘汰されていくと予想されるが、現時点で人が音楽を聴かなくなったというのは不適切だろう。

また、坂本龍一氏の「情報には金を払わない」は非常に気になるコメントだ。
確かにネットの普及により、情報は無料で手に入るようになった。
音楽配信、YouTube、myspaceなど音楽を伝達するメディアが急速に広がり、CDを買わなくても音楽を聴く機会は多くなったが、果たして音楽が情報化されてしまっているのだろうか。
それを考察するにあたり、下記の記事はなかなか興味深い。

引用:
JPpress
「CDが売れなくなってレコード会社(とレコード小売店)は窮地に陥っているが、作詞家や作曲家、歌手、演奏者などはまったく困っていない」
「CDが減った分、他の新しい音楽メディアが勃興してその減少分を埋め、さらに全体額を増やした」
「音楽を消費者に運ぶメインメディアがディスクからインターネットに交代した」だけ、あるいは「インターネット、DVD、ゲームソフト、パチンコ機などに多様化した」

要するに音楽への対価が減衰していることはないということ。
結果として音楽はコンテンツとして死んでいるわけでなく情報化はされていない。
ただ音楽に対する対価がCDではなくなってきているため、外から見ればマーケットの縮小だと考えるし、レコードメーカーと活動しているアーティスト側からすれば苦境にたたされている感はある。
特に作詞作曲をしておらず権利を持たないアーティストは収入面で相当厳しくなってきていると想像がつく。

では、その時代に今後淘汰されるであろうレコードメーカーやCDショップはどこに向かえば良いのだろうか。
それを示唆している記事が下記だ。

引用:
TABLOG
「書店は流通業でない」という事の意味を別の角度から言うとこうなる。古来から、お客の立場から見て、最優秀な書店員や書店主という存在は、肉体労働を厭わずに棚卸しに汗する人間でも、レジを正確に打つ人間でもなかった。配架されてくる本を、その書店での「最初の読者」として読み、自分なりの鑑定眼を入れ込みながら、平積みするかどうか、POPをどう書くか、関連する本同士をどう並べるか、など、頭脳に汗して創意工夫を巡らすような人材こそが、最優秀の書店員、書店主であり、これは控えめにいっても立派な「編集者」「教育者」「啓蒙家」の仕事だったと私は考えている。

引用:
BACK TO BOP THE BEAT
実際、全世界でリリースされている新譜すべてを仕入れて揃えることなんて出来ないんですから。誰かがその情報を編集してあなたが素晴らしい音楽を見つけられるようにしているのです。その編集という行為に対してお金を払うべきです。(中略)レコード屋がどんどん無くなってみると、不便極まりない。入ってくる情報は莫大になって、今まで通り自分の感覚で買っているつもりなのに、時間ばかり食う。ネットで30秒の試聴サンプルを何時間も聞き続けているより、お気に入りのレコード屋に行ってコメント読んだり、直接「おすすめ有りますか?」って聞いて、自分で試聴した方がなんぼか早いと気づく。(中略)情報が多くなればなるほど、いろんなことが満たされるはずというのがネット時代の常識だったはずなのに、どんどん不便さを感じる。人が一日の間に処理出来る情報なんて大した量じゃない。やはり情報は多ければ多いほどいいというのはやはり間違いで、今だからこそ、この世界で必要とされるのは「優秀な編集者」なんじゃねぇのか?

ここでのキーワードは“編集者”である。

情報過多もしくは誰でも情報収集できる時代に求められるのは、自分の好みや感動できる曲を素早く発見すること。
これは、まさしくTwitterやFacebook、mixiなどのソーシャルメディアの得意とするところで、コミュニティへの参加やクラスターとの接触により、精査された情報を入手することができる。
まさしく検索行為からソーシャルストリームでの情報収集へ変化しつつあるWebの潮流と同じである。

またこれは、「アーティスト→レコードメーカー→CDショップ→リスナー」という画一的な“Destination”から、様々なメディアを利用してリスナーへ音楽を届ける“Distribution”に変化していることとも言える。

だから“編集者”がソーシャルメディアに登場しコミュニケーションやネットワークを築くことは重要で、ショップ(メーカー)とリスナーとのロイヤルティ向上に寄与することになるはずだ。
一方、ソーシャルストリームでは自身のネットワーク内でしか情報が入ってこないため、振り幅が狭く盲目的になりがちだ。
またコミュニティやクラスターが広がり情報が拡散すればするほど、その情報が正しいのかどうかという裏取り重要性が増してくる。
だからこそ、音楽専門家の信頼感とリアル店舗が持つ人と人とのつながりは見逃せないはず。

情報にはお金を払わないと言うが、ビジネスマン向けの有料メールマガジンが広がり始めているように、自身に有益な情報には対価を払う傾向にある。
またライヴへの積極的な参加のように、CDを買わなくなっても音楽を発見する喜びや感動の享受に対して対価を払うことに抵抗のない方も多い。

今までアーティストはCDのプロモーションということで、様々なメディアへの出演やイベントへの出演をほぼ無料で行ってきた。
レコードメーカーやCDショップもCD販促のために、様々な情報をほぼ無料で公開してきた。
しかしCD販売が前提で無くなってくる時代では、それらを収益化できるようなスキームをつくりだすことも選択の一つである。
その時こそ、優秀な“編集者”を抱えているショップ(メーカー)は一日の長があり、それは貴重な情報として収益に換えることができる可能性があるのかもしれない。


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