2冊目終了後3冊目もすぐに読破。
本作では、第二審の有罪判決、そして上告するも最高裁で棄却され最終的に有罪になってしまうまでが描かれている。
さてその後、実際の事件はどのような顛末をみせたのか。
沖縄返還協定の密約のもう片方の当事者であるアメリカ合衆国では、2008年現在、密約の存在については機密解除され、アメリカ国立公文書記録管理局にて公文書として閲覧可能であるが、日本政府は文書の存在を否定している。
2005年4月25日に西山は「密約の存在を知りながら違法に起訴された」として国家賠償請求訴訟を提起したが、2007年3月27日の東京地裁で加藤謙一裁判長は「損害賠償請求の20年の除斥期間を過ぎ、請求の権利がない」とし訴えを棄却、密約の存在には全く触れなかった。
原告側は「20年経過で請求権なし」という判決に対し「2000年の米公文書公開で初めて密約が立証され、提訴可能になった。25年経って公文書が公開されたのに、それ以前の20年の除斥期間で請求権消滅は不当」として控訴。密約の存在を認めた当時の外務省アメリカ局長吉野文六を証人申請したが、東京高裁は「必要なし」と却下した。
2008年2月20日、東京高裁での控訴審(大坪丘裁判長)も「20年の除斥期間で請求権は消滅」と、一審の東京地裁判決を支持し、控訴を棄却。ここでも密約の有無についての言及はなかった。判決後の会見で西山は、「司法が完全に行政の中に組み込まれてしまっている。日本が法治国家の基礎的要件を喪失している」と語った。原告側は上告したが、2008年9月2日に最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)は上告を棄却し、一審・二審の判決が確定した。
(省略)
さらにアメリカの公文書公開によって、400万ドルのうち300万ドルは地権者に渡らず、米軍経費などに流用されたことや、この密約以外に日本が米国に合計1億8700万ドルを提供する密約、日本政府が米国に西山のスクープに対する口止めを要求した記録文書などが明らかになっている。
とんでもなくひどい話しではないか。
全てが事実だった証拠がそろっているのにもかかわらず、未だに歴代の外務大臣をはじめとした政治家達は密約は無かったと言い張っている。
国家のプライドのためにあからさまなウソをつき続けるピエロである。
確かに本裁判の争点はメディアの取材方法にフォーカスしていたので判決は妥当だったのかもしれない。
しかし、行政の歪んだ体質にほとんど触れなかったのは、司法が行政側に寄り添い三権分立を崩してしまっていることになる。
たった一つの事件が、政界、行政、裁判などに股がる大きなカゲを映している。
そしてそれを見事に描いている本書は、多くの事を考えさせられる大作だ。
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