2009年2月25日水曜日

「どっちがへん?」に思う本質を見抜く重要性

小鳥ピヨピヨ」ブログでの東急電鉄のマナー広告「どっちがへん?」への批評を見て気になったことがある。


「小鳥ピヨピヨ」ブログでは上記の広告に対して
●どう考えても、亀を虐待している方が悪い
●マナーと変かどうかというのは関係ない気がする
との感想をもったとしている。
確かに亀を虐待しているように見えるので納得の意見だ。

この「どっちがへん?」の広告ポスターは、似たようなイラストを対比させるというギミックで、一瞬疑問に思ってもらいマナーをわかりやすく啓蒙すると言う内容。
広告を見た人は、「どちらが変」なのかを頭の中で答え合わせし、広告意図との整合性を合わせる事で表面的に納得してしまう。
広告主の戦略勝ちと言いたいところだが、ちょっと待った。
自分の考えが広告側に合わせられてしまっているということに気がつかなければいけない。(そもそも広告とはそういうものではあるが、、)

この「どっちがへん?」は、よく考えるとどっちも変なのである。
主に違和感を感じるポイントは
●リアルとフィクションが比較対象にならない。
●訴求の本質(論点)がズレている。
ということ。

前者は、事実と比較して変だと思うのはフィクションの方だからだ。
例えば下記の通りである。



二足歩行の子豚が二足歩行の狼に追いかけられているほうが明らかに変だ。
要するに飛び込み乗車の危険性を訴求するのに比較になっていないのである。
クスッと笑える表現かもしれないが、どちらも変である。

後者の例は下記の通り。


電車内で携帯電話の使用が禁止なのではない。
携帯電話の電波が運行に支障があるのであれば別だが、諸外国のように車内状況や電話の緊急度、電話の出方などによって臨機応変にするのが大人の対応。
本質は話し声などで周囲の人に迷惑にならないように配慮することである。


これも本質は、喫煙者を吊るし上げることではなく、決められた場所での喫煙を促すことである。
喫煙場所であればホームでも問題無いし、むしろ壁に落書きをしている方が悪質。


乗客は寝いて怪我人に気づいていないのだから、気づいた人が席を譲るべき。
マナーの本質は思いやりであり、優先席に関わらず体の不自由な人に席を譲ることが重要なのではないか。
あきらかに魚を持って寝ているラッコの方が変。

そもそもマナーと言うのは、「変だから守る」のではなく、周囲への配慮や他人への思いやりで守るものなのではないだろうか。
例えば、免許取り消しになるから飲酒運転しないというのではなく、自分にとっても他人にとっても危険だから飲酒運転しないわけで、本質を見誤ってはいけないと思う。

何かと比べて変だから・・世間体や罰則があるから・・、だから「やめよう」という本末転倒な風潮を助長してしまうのではと危惧さえ感じる。
ここまで思うのは考え過ぎなのかもしれないが、もし子供達に「どっちがへん?」なのかを尋ねられたら、表面的かつ簡単に白黒をつけるのではなく、もう一歩深く考えて本質を見抜けるようなアドバイスをしてあげたい。


3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

>喫煙場所であればホームでも問題無いし、むしろ壁に落書きをしている方が悪質。

これは壁に落書きしているのではなく、紙に絵を描いているのでは?

匿名 さんのコメント...

もう一つ。
東急にはホームに喫煙所はありません。

Kiyoshi Miyazaki さんのコメント...

確かに紙に絵を描いていますね。
そして東急に喫煙所は無いのですね。
知見不足。失礼いたしました。