2011年4月29日金曜日

中森明菜が1989年に難破船で流した涙

中森明菜の代表曲の1つ難破船。
レコード大賞を獲得した「ミ・アモーレ(1985年)」「DESIRE -情熱-(1986年)」の翌年1987年にリリースした楽曲だ。
そもそもこの曲は、加藤登紀子が作詞作曲し自身で歌っていたが、本人が中森明菜にカバーを勧めたと言う。

彼女の失恋が噂されていた時期で、たまたま、同じスタジオで隣に佇んでいたんですね。 それで『よかったら歌ってみませんか』とカセットを送ったんです。 そしたら、次のコンサートに、ぽんとお花が届いて、それがイエスの返事でした。
(加藤登紀子、2005年ツアーパンフレットより)
ただ、この「失恋の噂」というのは後からつけたロジックに思われる。
というのも、近藤真彦との交際が報じられたのは1986年夏で、その後、近藤真彦の自宅マンションにて自殺未遂事件を起こしたのは1989年7月。
ということは、難波船をリリースした1987年は交際は順調だったはずだからだ。

今は芸能界のタブーとして扱われているこの事実も、30歳以上であれば強烈に覚えていることだろう。
自殺未遂の理由は、1988年に近藤真彦と松田聖子のNYでの密会が報道されこれにショックを受けたとも言われている。

そんな渦中の1989年4月に、よみうりランドで歌われた難破船の映像がこちら。
間奏中に涙を流したのはファンの間ではよく知られている。


難波船の歌詞が、このタイミングにもの凄くマッチ(!)している。
おろか者的な歌詞が何かを暗示している気がするのは考え過ぎか。
たかが恋なんて 忘れればいい
泣きたいだけ 泣いたら
目の前に違う愛が見えてくるかもしれないと
そんな強がりをいって見せるのは
あなたを忘れるため
さびしすぎて こわれそうなの
私は愛の難波船

折れた翼 広げたまま
あなたの上に 落ちて行きたい
海の底へ 沈んだなら
泣きたいだけ 抱いてほしい

ほかの誰かを 愛したなら
追いかけては 行けない
みじめな恋つづけるより
別れの苦しさ えらぶわ

そんなひとことで ふりむきもせず
別れたあの朝には
この淋しさ 知りもしない
私は愛の難波船

おろかだよと 笑われても
あなたを追いかけ 抱きしめたい
つむじ風に身をまかせて あなたを海に沈めたい

あなたに逢えない この街を
こん夜ひとり歩いた 誰もかれも知らんぷりで
無口なまま 通りすぎる
たかが恋人を なくしただけで
何もかもが消えたわ
ひとりぼっち 誰もいない
私は愛の難波船
(難破船の歌詞より引用)
2分40秒〜3分5秒までの間奏25秒間、一体どのような事に思いを馳せて涙を流したのだろうか。
観ているこちらまで感情移入して胸が苦しくなる。
歌い終わった後に笑顔で自身の頭を小突くシーンは、まさしくステージ中に歌詞に入ってしまったことを物語っている。

もともと中森明菜の歌っている楽曲の中で売れた曲ではあったが、背景との重なり具合とこの涙を流したステージがあったことで、確固とした代表曲になったのは間違いないだろう。

この難破船は文頭にあるように加藤登紀子のカバーになるが、さらに数年後に桃井かおりがカバーしていることはあまり知られていない。
中森明菜の哀愁さはとは異なり、吐息混じりの大人の色香が出て不思議な感じに生まれ変わっている。


また桃井かおりは、COMPLEXの再結成で今話題の吉川晃司の名曲もカバー。
原曲の“ノリ”を全く無視したレゲエ調で、こちらも新しい世界観をつくりあげている。


以前ライジングサンで吉川晃司のステージを観たが本当に格好良かった。
格好つけ具合が半端なく様になるアーティスト一人であり、矢沢永吉の域に近づいているのを感じる。
こちらはROCK IN JAPAN出演時の映像だが、恒例のシンバルへの回し蹴りを観ることができる。
中森明菜の難破船を見た後にこの吉川晃司を観るとなんだか安心するのは私だけだろか。


2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

「難波船」でなくて「難破船」やないですか??

Kiyoshi Miyazaki さんのコメント...

ご指摘ありがとうございます。
大変失礼いたしました。
修正させていただきました。